長野県須坂市には県下初の水泳場がありました。
現在その名残は築壁防護のための意味で造られたグラウンドのスタンドに見られるだけで、今その場所には市民体育館が建っています。(左下の写真はプールがあった時の写真です)
須坂町営水泳場建設は大正14年4月20日に「皇太子(昭和天皇)ご成婚記念事業」として立ち上がった町営運動場建設の一環として行われました。
その後、大正14年11月3日に予定通りに完成し開場式が行われ、記念水泳大会も行われたのです。
(11月に水泳大会?しかも屋外で?うわぁ寒むそうぉ・・・)
完成したこの水泳場は今では考えられない100m×25mという大プールだったのです。縦100mのプールですよ。で、でかい!!
水泳場といっても今とは違い、水は近くの「大川」の水を引き込み、壁は石垣積み造りのコンクリート固めという工法でした。聞いた話ではプールの中に魚が泳いでいたとか・・・。
この須坂町営水泳場ができるまでの須坂の人の水泳事情は、野尻湖や日本海での海水浴が主でした。このプールができたことによって須坂の水泳事情はガラリと変わり、須坂町は「水泳の須坂」と呼ばれるほどの県下随一の水泳町になったのです。
その後この水泳場は水の漏水問題や水質汚染の問題もあり、昭和39年の常盤中学校のプール完成と共に閉鎖されたのです。
現在はその常盤中学校のプールも無くなってしまいました。
僕は小さい頃からずっと水泳をしてきました。
須坂にこんなプールがあったなんてビックリです。
普通のプールが25m。大会などで使うプールが50m。
でもこのプールはその倍の100m。
一度こんな大きなプールで泳いでみたかったなぁと思うのです。