八幡町

八幡追分

長野県須坂市は地域の主要道が交わる「辻<ツジ>の町」です。

このページで紹介した「中町の辻」もそうですが、八幡町にある「八幡追分<ハチマンオイワケ>」も主要道の辻の一つなのです。


現在は無いのですが、八幡町(大字墨坂)に「八幡追分」という地名がありました。追分とは「分かれ道」のことなのですよ。

その追分地点には今も道標が残されていて、そこには「右ぜん光寺道 左まつしろ道」と刻まれています。
当時の「善光寺道」とは大笹街道よりこの「八幡追分」より「布野の渡し(現在の村山橋付近の渡し船)」を通って長野方面に向かう街道のことで、関東地方より善光寺に参拝をするためにこられた多くの方々が通った道なのです。


「村石の庚申塔」の位置から善光寺に向かうとこの追分の辺りを通ります。

また、「松代道」とは千曲川に沿って福島宿、井上を通り松代方面に抜ける街道のことなのです。

現代ほど地図が発達していない頃にはこのような「辻」や「追分」、それらの地点に立つ道標は重要な役割を果たしていました。
旅人や物流にとって重要な辻の集まる須坂には色々な所から沢山の人々が目的地に向けて通過したのでしょうね。
人々が交わる町には宿場町が起こり、色々な地域の文化が交わる町にもなるのです。

そのような多くの物流と文化、情報の伝達が須坂の製糸業の発展の礎になったことは間違いなのです。




掲載している探検隊スペシャル