村山町

村山橋

長野県の県庁所在地である長野市と須坂市は隣同士ですが、その間には「千曲川」が流れています。
長野市からは国道18号より国道406号にのり、須坂市に入ることができるのですが、その際に通る橋は「村山橋」と呼ばれています。

この「村山橋」は全国的にも非常に珍しい「鉄道・道路共用橋」なのですよ。車のすぐ横を「長野電鉄」の電車が通りかなりの迫力があるのです!

明治時代、須坂市の製糸業発展に欠かせない輸送手段は人馬や水運に頼る労働力も時間もかかるものでした。

当時近代的輸送手段であった鉄道の信越本線は明治17年(1884)に上野~高崎間で開通しました。
その後、新潟県直江津より高崎に向け工事が進められたのです。

豊野~屋代間のルートとして候補に上げられたのは「須坂・松代経由」と「長野・篠ノ井経由」でしたが、洪水などの心配から「長野・篠ノ井経由」に決定してしまったのです。
このことは鉄道という近代化に乗り遅れてしまうことになり、上高井地方の人々、特に須坂市の製糸家には大きな打撃になりました。

明治26年に信越本線が全通し、シルクロードとして鉄道が役割をはたすことになると、信越本線に直結する道路の開設が急がれ、中町より小布施に通じる「谷街道」より分岐して豊野駅に通じる道路が作られました。



その後、更に近い長野吉田駅が開設されると須坂市の製糸家の努力により、千曲川に村山橋がかかりました。

しかし当時は馬車による運送であったので時間と労働力がかかり大変です。
そこで須坂~長野間の鉄道建設の動きが「長野電気鉄道株式会社」(社長 神津藤平)によって進められました。

うまい具合に県の予算で行われる「県道長野~須坂間」の整備と重なることができ、資金的に最大の難関であった村山橋架橋も、費用負担が県6割鉄道会社4割で橋をかけることができました。

ついに大正15年6月28日に須坂に鉄道が開通し、生糸を短時間に関東に運ぶことのできる「須坂のシルクロード」が完成したのです。

なるべく低コストで鉄道の橋をかける方法が現在に残る「鉄道・道路共用橋」という形だったのです。

「村山橋」は須坂製糸業発展に欠かせないものなのです。

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