長野県須坂市坂田にある「天徳寺<テントクジ>」の入り口に、この「筆塚」はあります。
田幸正粲<タコウセイサン>は須坂市穀町に生まれ、末広町正願寺で書法を学びました。正願寺の住職の死後、そのあとを継いで寺小屋の師匠にもなったのだそうです。
その後、天徳寺17代住職に就きますが、寺小屋にて子弟達に筆を教え続けました。明治時代になると、須坂小学の教師や坂田役場につとめたのだそうです。
筆塚は明治40年2月に筆子31名らによって建立されたものです。
筆塚は寺子屋等の師匠を偲<シノ>んだり謝恩したりするために造られます。中には師匠の遺品を埋めることもあるそうですよ。
以前須坂には80基もの筆塚があったという記録が残されているそうですが、そのことからも昔の人の師弟関係の深さ、人と人の人間関係の密さを知ることができるのです。
師を偲び「碑」を建てる。
そんなことができる「弟子達の心」と
そこまで思われている「師の存在」。
人間関係が薄れてきたといわれる現代にとって、その関係はもう一度思い返して欲しい師弟の姿なのではないでしょうか。