長野県須坂市の歴史をみると、19世紀に入る頃から急速に発展したことがわかります。
昔から「辻の町」だった須坂は扇状地で、斜面の多い土地でした。
そこに目をつけた人々は、坂を流れる用水(裏川用水)に水車をかけて精米業、絞り油業をおこなったのです。
当時は善光寺平の余剰米と須坂・飯山藩米を精白して関東へ出荷していたのだそうで、油に関しても同様に、菅平から上州へ抜ける鳥居峠は通称「油峠」とも呼ばれたほど往来が盛んだったのです。
小布施町をはじめ、北信地方が油の原料である菜種栽培が盛んになると、谷街道を通り須坂を通過し、関東へいく商人が増えました。
現在の須坂市と小布施町を結ぶ国道403号線が旧谷街道にあたります。
現国道403号線沿いには、旅の無事を祈願して、当時の足として使われた「馬」を祀った
「馬頭観音」
が今も多く残されているのです。
この旭ヶ丘~相の島線と403号が交わる交差点の北東に祀られた
「馬頭観世音」も上州の油屋仲間6名によって天保5年(1835)に建立されました。
上州の油屋仲間による建立ということからも、須坂の発展が油絞り業と密接な関係にあることがわかるのです。