横町

墨坂神社芝宮参道

12対の献灯が並んだ

須坂市の中心部にあり、北信地域でも有数の広さを持つ「墨坂神社芝宮」には、見落とされやすいのですが立派な参道があります。

>見落とされやすい原因は、参道と境内の間に「須坂駅前通り」が通っているためで、大半の方が参道を通らずに境内に入ってしまうことができるからです。

境内にある「渡れない太鼓橋」は意外に有名なのですよ。

写真のように芝宮の参道には12対の灯籠が建っています。
この灯籠には十二支の彫刻がしてあり、お宮側より酉<トリ>から始まり未<ヒツジ>まであります。
酉の灯籠は昭和8年に建てられたもので、順に戌<イヌ>が昭和9年、亥<イ>が昭和10年・・・と続きますが、昭和18年に建てられるはずの未<ヒツジ>の灯籠は昭和44年建設なのです。

これには理由があり、アメリカに宣戦布告した「大詔奉戴日<タイショウホウタイビ>」のあった昭和16年の翌年、17年はいよいよ太平洋戦争の戦火が激しくなり、灯籠を建てている場合ではなかったものと思われます。

それから何十年か経過し、昭和44年に「未の灯籠」が建てられたのです。昭和44年は酉年なのですが、数えると明治100年という節目に当たる年なので続きの「未の灯籠」を建てたのです。

写真を良く見ると、参道が真っすぐ伸びて、その先に太鼓橋があり本殿が見えるのはずなのですが・・・??
参道からの直線より本殿がずれて建っています。
これはおかしいですよね。

実はこれにも理由があり、本来「墨坂神社芝宮」の主神は八幡神ですが、芝宮改築時期に須坂藩 初代藩主堀直重も一緒に崇めようという動きがあり、二つの拝殿が作られたのだそうです。
その後「1つの神社に二つも神様があるのはおかしい」という話になり参道より少しずれた芝宮本殿が残されたようです。

拝殿の上に現在は金網によって少し見づらいですが立派な彫刻がしてあります。
この彫刻は「日本神話」に登場する「岩戸隠れの伝説」の1コマで、天照大御神<アマテラスオオミカミ>が「天岩戸」より引きずりだされる様子を描いたものです。
何故、天照大御神なのでしょうか?
それは天照大御神が八幡神の「比売神<ヒメカミ>(姫神)」とされているからではないでしょうか。この彫刻は一見の価値ありですよ!!

昔、川が氾濫し、このお宮に水が溜まったそうです。それから水がひいて一面に芝が生えたために「芝宮」と呼ばれるようになったのだとか・・・。

「芝宮」は須坂を代表するような神社だけあり、調べてみると色々なことがあって面白いです。
参道の鳥居は三本足の「諏訪社」の鳥居の形をしているのですよ。墨坂神社なのに・・・。
この点はまだまだ勉強の余地ありですね。

細かいことにも目を向けて調べてみると先人の深い考えを垣間見ることができるような気がしてとても勉強になります。



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