福島町

天神社

高井鴻山によって描かれた大幟

長野県須坂市福島町は北国脇街道の主要宿駅、大笹街道の起点として栄えました。
しかし明治時代になり宿場の廃止や水害により当時の人々の心は動揺荒廃していたそうです。

そのようなことで力を落とした福島の町は新しく養蚕・蚕種業で賑わいを取り戻しました。
それを期に以前、水害で被害を受けた「鎮守天神社」の復興新築が始まり、明治13年に完成しました。

この天神社は第62代村上天皇の960年に御祭神の御霊を京都北野天満宮から受けたとされていて、もともと学問の神様である菅原天神というよりは、水防の神としての水神として祀られたものなのだそうです。
また、菅原道真と牛は深い繋がりをもっているそうで天神社の狛犬は牛なのです。これはおもしろいので一見の価値有り!


社殿再建に合わせて記念の「大幟」新調の声が高まり、その揮毫<キゴウ>を小布施の「高井鴻山」に依頼したのです。


依頼された鴻山は
「天満宮は余の最も信仰を篤くするところ也」
と言い快くひきうけたのです。この時高井鴻山は73歳。

鴻山は大幟を要望し、73歳とは思えない力強い字を書き上げました。
大幟の揮毫は

北に立てる幟「懋 徳」<ボウトク>(徳を務める)
南に立てる幟「護 道」<ゴドウ>(道を守る)

と書かれています。
大幟の長さ12間余、巾2間1尺2寸は日本一の大きさなのですよ!!(長さ22.5m位 巾4m)
この大幟は明治13年3月25日の初建以来、明治18年までは毎年建てられ、以降は特別記念祭の折にのみ建てられたそうです。現在はレプリカが記念祭に建てられるそうです。
天神社の横には大幟を建てる際使われる太くて長い棹が置いてありますよ。棹<サオ>の長さも36.5mもあるのです!

また、亀原和田四郎の高弟である長沼の武田常造と長野市妻科の山崎義作の傑作で、「大幟」を固定する枠の彫刻も大変に見応えのある物なのだとか。

高井鴻山は大幟完成の祝宴の席で中風(脳卒中)に倒れ、この大幟が最後の大作になりました。
鴻山最後の大作「天神社の大幟」については、調べれば調べるほどに実物を見てみたい!!
古い資料の写真で見ましたがかなり大きく立派ですよ。大幟が風で靡く姿はそれはそれは迫力あるのでしょうね・・・。



天神社

住所:福島町
名前:天神社
取材日:2005/09/29
更新日:2020/03/30

参考文献

ふるさと須坂<須坂市教育委員会>
新撰須坂市の文化財<須坂市の文化財調査会>

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