長野県須坂市井上にある「井上山 浄運寺」は、信濃源氏の祖である井上氏の山城山麓に広大な敷地と七堂伽藍<シチドウガラン>をもった、歴史を積み重ねた風格を感じるお寺です。
七堂伽藍とは「山門」「本堂」「講堂」「僧堂」「庫裡<クリ>」「浴室」「東司<トウス>(手洗い)」のことなのだそうです。
この浄運寺は井上氏の武士であり、浄土宗開祖の法然上人の高弟であった「角張成阿<カクハリジョウア>によって、建保2年(1214)に開かれたお寺です。
開基以来、井上氏の祈願寺、松平定輝が寺領を寄進、また徳川家康、秀忠の位牌を安置することにより寺紋に徳川葵を用いるなど、この地域を治める領主の帰依<キエ>を厚く受けた由緒のある寺なのです。
浄運寺に関する歴史書物の多くは、天明2年の本堂全焼により焼失してしまいました。
その本堂焼失について、須坂市立博物館館長の涌井先生によると、
須坂地域には、この時代(天明2年頃)に焼失した寺が多く、それら寺院は「川中島の合戦の戦火」に巻き込まれたのでなく、故意的に武田勢によって火をつけられたのではないか
とのことでした。
焼失した本堂は、寛政6年(1794)に再建されました。
本堂内陣の欄間には、名工「亀原和太四郎3代嘉博」によって嘉永3年につくられたものなのです。
それは立派で繊細な彫刻に圧巻されます。是非ともご覧下さい。
井上地区にある浄運寺、小坂神社は県内でも古い宗教的建造物です。また、古来より領地支配者であった井上氏の館があったことからも、井上地区は須坂地域の文化的、政治的中心地であったことは間違いないのです。