太子町

太子堂

時代を超えて厚い信仰を集める

須坂市太子町に屋根に上に赤く塗られた擬宝珠がシンボルの「太子堂」があります。
春には綺麗な桜を参道で見ることができることで以前紹介しました。


「太子堂」は聖徳太子の仏像や絵を祀ったお堂のことです。
太子堂は、全国各地にありますが、須坂の太子堂はいつ頃から祀られ、現在のお堂がいつ建立したのかさえも確たる資料が残されていないのわかりません。

現在に残された数少ない資料を調べてみると、
元々「太子町」の地名は「太子堂」→「太子堂町」→「太子町」と時代と共に変わってきたのだそうで、
承応2年(1653)には現在の位置にお堂や町並みはあったとされています。


しかし、承応2年以前に須坂には、「字太子堂」という土地名の所があったのです。
明治11年の「長野県町村誌」によると、太子堂の創立は寛永年間(1624~1644)と言い伝えられているとされています。
その頃に「字太子堂」と地名のついた、現春木町公会堂の前に「太子堂」は建立され、その後承応2年(1653)までの間に現在地に移動したものだというのです。

須坂の太子堂は創建当時は春木町にあったのです。



言い伝えによると現在の太子堂は今までに3回の火災に遭い4回建立したとされています。
今のお堂が建立されたのは古老の話や残された太子祭の買物帳などから天保3年(1832)頃と予想されています。

冒頭に書いた通り、全てにおいて確たる資料が残されていなく、数少ない資料や言い伝えによっての予想がたつだけなのが現状なのです。



昔から毎年2月22日の太子祭には、沢山の参拝者が来て、かなりの盛り上がりをみせたそうです。
そのほかに太子堂維持の為に須坂町の沢山住民が皆で寄付を出し合ってきたこともわかり、須坂町民の「太子堂」への信仰の深さを感じることもできます。

残念なことに最近衰退を感じざるえない「太子祭」。
歴史のある祭りを大事にして、昔の様な祭りの賑わいを取り戻してほしいのもです。




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太子堂

住所:太子町
名前:太子堂
取材日:2005/10/19
更新日:2020/03/30

参考文献

太子堂<太子町通りまちづくり推進協議会>

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