須坂

招魂社

神社
須坂の歴史、伝承

清泉亭の春日灯籠

須坂の歴史、伝承

越寿三郎は、長野県須坂市が製糸業で栄えていた頃に、製糸王と呼ばれた偉大な人物。

「越寿三郎」が22歳だった明治18年に製糸結社「俊明社」の創業と共に入社。
明治20年には自ら「山丸製糸所」を創業し「山丸組」を創立しました。
その後、俊明社の取締役社長になったり上高井銀行(現八十二銀行)を創立したりと、ここでは書ききれない程の偉業を成し遂げるのですが、その偉業の1つに明治36年に製糸工場の合理化を目的とした「信濃電気株式会社」を創立があげられます。

信濃電気㈱は、後に買収、合併をして、現在の中部電力の元である「

柳島山 勝善寺

寺院・お堂

今でも全国の真宗大谷派寺院の中でも8ヶ寺に数えられるほどです。
勝善寺は、創建地の柳原より須坂市の八町に移り、元和9年(1623)に須坂藩主の招きによって現在地に移りました。


第16代住職の大明院真兼(小沢左膳)は、享保20年(1735)に勝善寺14代住職海秀の4女のもとに婿にきました。真兼の母は、水戸光圀の曽孫にあたることから

北向観音堂

寺院・お堂

インドで作られたこの仏像は、中国、朝鮮へと移り、「文禄の役(1592)」で朝鮮に出兵していた宇喜多秀家が国王から譲り受けて持ち帰り、豊臣秀吉に献上したのです。
秀吉はこの仏像を大阪城に祀ったところ、度々の災厄から免れることができたため、厄除け観音といわれ、「豊太閤護持仏」とも呼ばれたそうです。
初代須坂藩主 堀直重の父方は尾張国(愛知県)中島郡奥田の出身で豊臣秀吉に使えていました。しかし直重は「大阪冬の陣・夏の陣」で徳川家の証人(人質)として徳川側に使え、そこで手柄を立てたことで徳川秀忠よりこの観音像を賜ったのです。

以上で

三社

神社
石神・石仏

祠の周囲に石垣を廻らせた約100㎡の境内の正面に「秋葉社」、右に「天照大神」左に「八幡宮」を祀っています。

太子堂

寺院・お堂
須坂の歴史、伝承

太子堂は、全国各地にありますが、須坂の太子堂はいつ頃から祀られ、現在のお堂がいつ建立したのかさえも確たる資料が残されていないのわかりません。

現在に残された数少ない資料を調べてみると、
元々「太子町」の地名は「太子堂」→「太子堂町」→「太子町」と時代と共に変わってきたのだそうで、

ふれあいの館しらふじ

歴史的建造物
須坂の歴史、伝承
須坂の町並み

この建物は江戸時代に須坂藩の要職を務めた浦野家が須坂藩邸の西隅を固めるように建てた建物で、明治初期に新築された3階建ての土蔵と大壁造りの長屋門が残っています。
以前は門の右側に3階建ての物見櫓があり、氷水屋が営まれた時代もあったそうですが、昭和40年に壊し改築されたそうです。

延命地蔵尊

寺院・お堂
須坂の歴史、伝承

この延命地蔵尊の言い伝えは次の通りです。

昔、高井郡の宗石という地籍に賛願寺という寺がありました。
延命地蔵尊はその寺に祭られていましたが、百々川の洪水により寺が流されてしまいました。

八幡屋金物店

歴史的建造物
須坂の町並み

八幡屋金物店が幅広い商品の取り扱いをし、物流が発達していなかった時代に沢山の商品を持っていたことがわかります。

土蔵は手前から「味噌蔵」「薪蔵」「鋳物蔵」「鉄蔵」と続き「文庫蔵」

三善牧家

歴史的建造物
須坂の町並み

三善牧家は牧新七家の分家で、現在の建物は牧茂助が明治期に建てました。建物の配置は本家(クラシック美術館)に似ています

須坂町道路元標

須坂の道標
須坂の町並み

横町通り(銀座通り)から「中町の辻」を左折して小布施へ向かった「谷街道」(写真右下から左下)と高山方面より新町通りを抜け「中町の辻」に着く

旧日滝銀行(須坂商業銀行)

歴史的建造物
須坂の町並み

明治30年に日滝村に「日滝銀行」として創業し、明治33年、この場所に「須坂商業銀行」に改称し移転しました。

信陽銀行跡

須坂の町並み
歴史的建造物

時を告げる鐘

須坂の町並み
歴史文化財

病院新道

須坂の町並み

信州医療センターと勝善寺を結ぶ「病院新道」、現在の本上町は「三区」と呼ばれた花街でした。

蝶の民俗館

歴史的建造物
須坂の町並み
公園・博物館

永年にわたって、蝶と人間とのかかわりあいについて調べてきた今井彰さんによって開館された博物館

笠鉾会館ドリームホール

須坂の町並み
公園・博物館
歴史文化財

毎年7月21日~7月25日まで開催される祇園祭<ギオンサイ>において町を練り歩く神輿<ミコシ>笠鉾<ギョウレツ>の展示施設

ふれあい館 まゆぐら

須坂の町並み
公園・博物館
歴史的建造物

市内に点在する「繭蔵<マユクラ>」は製糸工場が大量に仕入れた「繭」を保管する倉庫のことで、通風を良く、温度変化があまりない構造に作られていることが特徴の建物

墨坂神社 芝宮

神社

この墨坂神社の境内は、長野県北部では有数の広さであり、地元では「芝宮<シバミヤ>」と呼ばれて親しまれています。


今でこそ、須坂駅前より高山方面に続く駅前大通りがありますが、以前はこのような大きな通りは無く、芝宮へは、須坂銀座通りのなかほどにある参道から入るようでした。

浮世小路

須坂の町並み

車が一台やっと通れるほどの狭い道ですが、そんな所にも当時の花街としての面影を現在も見ることができます。