南原町

臥竜山 興国寺

山門で仁王像が睨みをきかせるお寺

長野県須坂市の臥竜山に「臥竜山 興国寺」があります。
明応2年(1493)に天英祥貞和尚が開山した寺です。

まず、山門の両脇を守る仁王像に目が行くことでしょう。
この山門は名工「亀原和田四郎4代嘉照」の作、仁王像は須坂が生んだ名工「古川東晨<ふるかわとうしん>」の作です。
大きな二体の仁王に上から睨まれると、グッと気が張る思いがします。
そのくらいに力強さを感じる仁王像です。

山門を抜け、石でできた太鼓橋を渡り本堂へ続くのですが、
本堂の左側に須坂市指定天然記念物の「臥龍梅」と呼ばれる立派な梅の木があります。

この「臥龍梅」の花は淡紅色で枝が垂れて地につき、そこからまた根が生えるという特色があるのです。
樹齢は300年。須坂市随一の梅の古木なのです。
この「臥龍梅」には戦国時代に武将「塙団右衛門直之<ばんだんうえもんなおゆき>」が1592年の文禄の役で朝鮮出兵の際に持ち帰った木なのだといわれてもいるそうです。

元々この一体を支配していた須田氏は、武田信玄の信濃攻めによって上杉謙信を頼り越後に渡りました。
戦国時代、天正元年(1573)に、武田信玄より龍丸印の朱印状が与えられています。
武田氏の滅亡後、上杉景勝配下の須田満国、満親<ミツチカ>は須坂に戻りますが、慶長3年(1598)に上杉景勝が会津に移封されると、須田氏も会津梁川城代として、興国寺の住職も伴い渡ります。
その際に梁川にも興国寺を建立しています。

須坂の興国寺は慶長13年に、松平忠輝より
「信州高井郡小山村東谷臥竜山」の永代寄進の黒印状を受け、慶安2年(1649)には徳川家光より15石の朱印地を与えられました。

また、元和元年(1615)に、須坂藩4代藩主堀直佑によって興国寺を堀家の菩提寺と定めています。





この「興国寺」は臥竜公園の南園の裏にありわかりずらいのですが、須坂の中世の歴史を語る上で重要なお寺なのです。

臥竜山 興国寺

住所:南原町
名前:臥竜山 興国寺
取材日:2005/07/15
更新日:2020/03/30

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