亀倉町

亀倉神社

その昔「五塚<ごづか>」と呼ばれた神社

長野県須坂市亀倉に昔「五塚<ごづか>」と呼ばれた「亀倉神社」があります。
名前の通りこの場所にはかつて5基の小古墳があったのだそうです。

古墳は昔から聖域とされ、人々が憚って手を入れません。手を入れないからそこには自然に森が茂り、後世その森を利用して神社を立てることが全国的にもよくあるそうです。
この亀倉神社もその良い例だと思います。

この神社は須坂地方にはめずらしく「山ノ神」が祭神であり、その事からいかに昔の亀倉地域の人々が山の恩恵を大きく受けていたかがわかります。
山ノ神の縁数は12なのだそうで、いまでもこの神社では12日を祭日にしています。

この「亀倉神社」の社地には「亀倉古墳」「皇太神宮」「秋葉大明神」「佐倉宗五郎碑」があります。

「佐倉宗五郎」??
佐倉宗五郎といえば

江戸時代、佐倉藩(現在千葉県)の名主で、領民の窮状を見かねて上野寛永寺で将軍(家綱)に直訴し領民を助けた人物

として知られています。
その後藩主の堀田氏の激怒に触れて、佐倉宗五郎一家が死罪になったのだそうですが、堀田氏に災いに降りかかり、世間に「宗五郎怨霊」説が囁かれたのだとか。
堀田氏は千葉県の「口の宮神社」に宗五郎の霊を祭り,その怨霊を鎮めたといわれています。

「亀倉神社」と何の関係があるのかわかりませんが、きっと領民の守り神として祭られているのかもしれませんね。仁礼地区の史跡を紹介した「仁礼の里」には「義民の神様」と紹介されています。



亀倉神社

住所:亀倉町
名前:亀倉神社
取材日:2005/09/22
更新日:2020/03/30

参考文献

仁礼の里

掲載している探検隊スペシャル