長野県須坂市常磐町の「奥田神社」と隣接して、須坂藩時代に朝夕鐘の音で時を告げていた「鐘楼<ショウロウ>」が建っています。
>天命2年須坂藩8代藩主「堀直郷<ホリナオサト>」によって、浮世小路入り口付近に建てられたらしいですが、大正5年頃の館跡区画整理の際に現在地に移されたのだそうです。
時鐘は移転頃まで昼夜2時間毎に鐘を撞いて時刻を知らせたと伝えられていますが、当時「当てにならない常盤町の鐘」という言葉があったのだとか・・・。
160年時を告げた鐘は、第二次世界大戦で供出されてしまいましたが、平成12年に新たな鐘が寄贈されたのですよ。
この「鐘楼」も昭和50年に須坂市指定有形文化財に指定されています。
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☆御射山祭
8月26日(金)
・灯篭揃い出発 午後7時40分
奥田神社より芝宮神社
・花火 午後8時40分より
芝宮神社境内 仕掛け花火、打上花火等
~御射山祭り<ミサヤマまつり>の由来~
日本書紀の伝えるところによると・・・
昔々、山陰地方を統治していた出雲国は、畿内を中心として進展してきた倭国に「国の支配権を渡せ。」と迫られた。
健御名方命<タテミナカタノミコト>は、この要求に強く反撥された。しかし遂に破れた命は遠く諏訪に逃れられた。
と記されている。
祭りの当日、神前にて奉納される祝詞によると・・・
諏訪にて土地の開発。国造りに努力された健御名方命(諏訪大社の祭神)は、去る年の8月24日より8月29日まで、大勢の輩を従えられて八ヶ岳、霧が峰の高原に赴かれ、
「くに民に冦なす獣を狩り給う」大事業をなされた。
茅<カヤ>を敷いた仮床で睡り、茅の箸で粥をすすられての生活であったと言われている。
以来、信濃の人々は郷土開発がなされた記念の日として御射山祭を今日に伝えている。