長野県須坂市の中心街は、江戸初期に須坂藩堀家1万2000石の館町として発展しました。その後、明治時代から昭和にかけて製糸業が盛んとなり、近代シルクロードの起点の町として繁栄したのです。
こうした歴史を持つ長野県須坂市に車でお越しいただいた場合、長野電鉄須坂駅より続いている「須坂市駅前通り」の中ほどにある「須坂市営中央駐車場」を利用していただくと、須坂市探索の際は便利です。
須坂市営中央駐車場を出て、まず目に入るのは「墨坂神社 芝宮」。
この墨坂神社の境内は、長野県北部では有数の広さであり、地元では「芝宮<シバミヤ>」と呼ばれて親しまれています。
今でこそ、須坂駅前より高山方面に続く駅前大通りがありますが、以前はこのような大きな通りは無く、芝宮へは、須坂銀座通りのなかほどにある参道から入るようでした。
銀座通りから墨坂神社に入る参道には石燈籠がいくつも並んでいて、大正5年に市内の有志たちによって建立された石の立派な鳥居をくぐると、これもりっぱな「太鼓橋<タイコバシ>」があります。
この太鼓橋は急傾斜なために危険で渡ることができませんが、僕が子供の頃はよく登り渡って遊んでいた思い出の橋です。
太鼓橋の横にある大きな「欅<ケヤキ>の木」にも圧巻。
墨坂神社の境内にはいくつかの神社が一緒に祀られています。
中でも一番大きい拝殿が諏訪神と墨坂神を祀った墨坂神社芝宮本社なのですが、その南側に稲荷神社・弥栄社があり、北側には養蚕神社・天神社・西宮神社と並んでいます。
各神社にはそれぞれいわれがあるのですが、その紹介はまた後日。
芝宮本社の拝殿上の彫刻に目を向けてみましょう。
剣にまとわりつく竜などの彫刻がされています。鳳凰<ホウオウ>の彫刻の奥には、天照大神<アマテラスオオミカミ>が天岩戸<アマノイワト>から出る様子を描いた彫刻があるのです。
作者は高山村の名棟梁「3代亀原和太四郎<カメハラワタシロウ> 嘉博<ヨシヒロ>」と伝えられています。
天照大神は、「延喜式<エンギシキ>」では自然神として神社などに祀らる神様。
そのためにこのような彫刻が施されたと考えられます。
その他に、社務所の前に置かれた手水舎<チョウズシャ>も一見の価値がありますし、見所が満載の神社です。
この「墨坂神社 芝宮」を起点に「信州 須坂蔵の町」を探索してみてはいかがでしょうか?