長野県須坂市九反田金毘羅神社前に
「梅逸翁寿碑<バイイツオキナジュヒ>」
が建っています。
梅逸の本名は穂刈芳太郎<ホカリヨシタロウ>といい、文久3年(1863)に現須坂市に生まれました。
穂刈芳太郎は華道と俳諧に長けた人物で
華道では福島地区の「一寿斎」の門下に入り「一芳斎」と名乗ります。
そして俳諧では須坂俳道の大宗匠<ダイソウショウ>として知られていた「田ノ本一秀<タノモトイッシュウ>」(本名平野栄重郎)の門下で
「梅逸<バイイツ>」と名乗りました。
また、若い頃は旧須坂藩指南に一刀流を習い、免許皆伝を得ているそうです。
穂刈芳太郎の門弟は華道、俳諧合わせて百余名いたのです。
この石碑は大正13年に建立されたものなのです。
近くで農作業をしていた老婦に聞いたところ、
この石碑は建立当時、平坦な道沿いに建っていました。
横に植えられた桜が綺麗な華をつけるのだそうです。
近年長野電鉄屋代線が近くを通るようになり、踏み切り事故が多発しました。そこで線路をくぐる道が掘られ、そのために今では一見高い位置に建立されているように見えるのだそうです。
年々石碑の土台が崩れてきているそうで、いつまでこの地に建っていられるかわからないのだとか・・・。
「穂刈芳太郎」の門弟は百人以上いたのです。
きっとこの地区では有名な人物だったのでしょう。
門弟達が中心となり、ここに石碑を残した意義は、
「この地にこんな優れた人物がいたんだ。」
「こんな偉大な人物を忘れないでくれ」
ということではないだろうかと思うのです。