堀信山碑

江戸時代に12万石という信濃一の石高を誇った松代藩で藩医を任された「堀信山<ホリシンザン>」は長野県須坂市福島の出身です。

信山は、医業の傍ら手習い師匠として地域で古くより有名だった「堀玄白<ホリゲンパク>」の娘の養子として育てられました。

もともとの出身地は高井牧村(現高山村)の山崎嘉兵衛の四男で
、本名は玄竜といいます。

信山は祖父玄白に似て文筆を好んだのだそうです。
しかし家が貧しかったので紙や墨を購入できません。
そこで、硯<スズリ>箱に米糠<コメヌカ>を入れて筆を習ったのでした。
その後、長崎に渡り医術や薬物学を学んだあと、帰郷し松代藩の藩医に抜擢されたのです。

地元地域では、当時高価だった薬の安い代用を用いて治療をし、多くの庶民を救ったいわれています。

その功績を讃えて、福島村民により碑が建立されました。
その碑は現在も見ることができるのです。








堀信山碑


名前:堀信山碑
取材日:2020/11/18
更新日:2020/11/10

参考文献

須坂市人物誌<須坂市人物誌編集委員会>
筆塚並先人塚調査書<郷土史研究部>

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