長野県須坂市福島町を抜ける道の中ほどに
「一寿斎素鶴法橋碑」
と書かれた石碑があります。
しっかりとした石積みの土の上に建てられたこの碑は、この地で生まれた華道師範「堀内佐重郎」の功績を讃えた碑なのです。
福島村に生まれた「堀内佐重郎」は幼い時から花を愛したそうです。
17歳の時に日野高梨地区の正風遠州流の華道、春明斎一蕉<シュンミョウサイイッショウ>の門弟となり華道に励み、皆伝を得たのでした。
また、あわせて小笠原流茶道を皆伝。
書道も中島淡水に学びました。
なんという努力家。正に秀才ですね。
華道の師、春明斎の死後は旧松村(現小布施町都住地区)の
寿松斎<ジュショウサイ>につき、苦心修行の末その奥義を悟りことができ、
「法橋<ホウキョウ>」
の称号をうけました。(慶応3年3月1日)
明治5年に東京に行き、そこで出会った梨本宮慈渓流が自分の技術より勝ることを知り、家元の門弟となります。
が、これもまた明治6年に華号「一寿斎素鶴」と皆伝をうけました。
一年で皆伝?ホントこの人すごすぎです。
帰郷後も華道に邁進<マイシン>し、門弟は250名にもなったそうです。
その門弟達が佐重郎の技術を現代に伝承し続けているのです。
大正6年3月25日に門弟達により碑が建立されました。
若くして華道のみならず書道、茶道と極めた佐重郎。
その後の華道での活躍は、そういった若き日の色々な経験があったからこそ成し遂げられたのではないだろうか。
250名にも及ぶ門弟をもった佐重郎もまた須坂の偉人にふさわしい人物なのです。