長野県須坂市街地から菅平方面に進んでいくと、途中「宇原川<ウガラ>」に沿って山道を進んでいくと、左側
に一つだけ目立つ大きな岩があります。
道より岩の裏側に回りこむと、岩が幅、奥行き3mほどにくぼみとなっていることがわかります。
昭和25年に行われた林道工事の際に土器のかけらが見つかったことから、遺跡であることが確認されました
。
その後、昭和38年に國學院大學の永峯光一氏らによって本格的な発掘調査が行われ、9層に分かれた洞穴
内の堆積土<タイセキド>のうち、第2層~第4層と第7層~第8層が生活層にあたることがわかりました。
第2層~第4層は古代縄文早期の時代のもので、
第7層~第8層は縄文時代創期のものだったそうです。
そして、その発掘調査の中一番の発見は、第7層~第8層でみつかった口径22mm、高さおよそ25cm、厚さ8mmの微隆起線文土器<ビリュウキセンモンドキ>の発見です。
この時代の土器がほぼ完全な形で復元できるできるような形で発見されることは全国的にも本当に珍しいそうです。
この土器は、縄文時代を知る資料として貴重であることから、高校の日本史の教科書などに掲載されるほどのものなのです。
とっても惜しいことに、現在須坂市立博物館に保管されているものはレプリカで、この土器の現物は、須坂市に保管されていません。
もっと惜しいことは、須坂市にお住まいのほとんどの方が、高校の教科書に掲載されるような遺物がこの須坂市から出土したことを知らないことです。
是非、一度、須坂市住民ならば須坂市立博物館に足を運んで、レプリカではありますが、須坂市から出土した全国的にも貴重な発見を見ていただきたいものだと思うのです。
写真は石小屋洞穴の上に置かれた旅の安全を祈願して建てられた観音様