須坂市本郷町にある「蓮正寺<レンショウジ>」の山門下に、大きな石が置かれています。
江戸時代の慶安<ケイアン>年間(1648-1652)に、日滝村の新田が開墾され、用水が必要になりました。
新しい土地が開墾されると、必ず水利権の問題が起こります。
当時も、昔からあった日滝村と新しい相森新田の間で用水の奪い合いが起きました。
そして、両者による用水利用の条約が結ばれ、それを石に刻んで分水地点に設置をしたのです。
しかし、その条約の内容というものは
「春の農耕開始期(3月15日)から秋の水払い期(8月15日)までは、余り水以外、相森村に流さない」
という、ただでさえ水不足の相森村にとって切ない条件でした。
相森村の農民の中には、止水口を破壊したり、条約を無くそうと石を削る者までが現れる始末だったそうです。
そうしたことを防ごうと、日滝村の農民たちは、条約が刻まれた石を寺の境内に置き、文字面を下向きに地中に埋めたのです。
その石がこれです。
水利の条件が刻まれている、立会人の名も刻まれているなど伝えられていますが、本当に刻まれているかは定かではありません。
きっと刻まれているのでしょうが、本当かどうか本物を見てみたいものですね。