須坂市亀倉町の萬龍寺<マンリュウジ>の開祖「但唱上人<タンショウショウニン>」は、江戸時代の初期に米子村奇妙山にて、五穀を絶って草根木皮を口にして暮らす木食行<モクジキギョウ>を行いました。
木食行と護摩供養の傍ら、石仏や千体仏を彫るという難行苦行を釈迦と同じ12年間続けた後に
萬龍寺を開基したと伝えられています。
但唱上人によって彫られた千体仏の一部が、現在も萬龍寺にて保管されています。
但唱上人が修行した奇妙山には、石窟、護摩壇、浮島など数体の石仏が残る遺跡が今も残されています。中には太鼓の代わりに叩いたとされる石などの修験道具も見ることができます。
石窟は、人工的に作られたことは見てわかるのですが、道具のあまり無い時代に、あまりにも緻密な作業が行われているので、ただただ驚かされてしまいます。
一見の価値がありますよ。
また、但唱上人が修行した場所から一直線上に「米子瀑布」があり、林の隙間から遠くに眺める滝はとても美しく豪快なのです。(上の写真)
但唱上人はこの場所で修行をし、その後、有名なあの江戸の如来寺<ニョライジ>を建立するのです。
奇妙山に残されたいくつもの石仏や萬龍寺に残された千体仏など、但唱上人によって彫られた仏像は、どれもとても穏やかな顔をしていることが印象的です。
今からおよそ三百年前に、この険しい山の中で自分自身を極限まで追い詰める修行を行った但唱上人は、厳しい修行の先で何を感じたのでしょうか?
米子瀑布を見学に行きましたら、もう少し足を伸ばし、「奇妙山の信仰遺跡」をご覧下さい。