8月26・27日は「御射山<ミサヤマ>祭り」です。
須坂市の芝宮神社では、ススキを飾った灯籠の行列や仕掛け花火など催しが行われました。
御射山祭りの由来は、
昔山陰地方を統治していた出雲の国が、近畿方面を中心に進展してきた倭国に支配権の譲渡を迫られました。
出雲国の建御名方命<タテミナカタノミコト>が強い反抗をしましたが、敗れてしまい、その後諏訪に逃れる結果となりました。
ここまでが日本書記が伝えていることです。
そして、祭りの祝詞(神主がささげる歌)の中で、
その後、諏訪にて土地の開発・国造りに努力した建御名方命は8月24日より8月29日まで、大勢の輩<トモガラ>を従えて八ヶ岳・霧ヶ峰の高原に赴き
「くに民に寇<アダ>なす獣を狩り給う」
という大事業をなされた。
その間、命は茅<カヤ>を敷いた床で眠り、茅の箸で粥をすすっていた
と言っています。
以来、信濃の人々は郷土開発の記念日として、8月26日に
「御射山祭り」を行い、後世にその偉業を伝えているのです。
全国に5073社ある諏訪社の祭神は「建御名方命」です。
この時期、全国の諏訪社では御射山祭りが行われ、茅の箸を使って粥や小豆を食べるなどの行事が行われるのです。