相森町

相森神社

伝説が伝わる神社

須坂市より小布施方面に向かう相森地区の旧谷街道沿に「相森神社<オオモリジンジャ>があります。

この「相森地区」はかつて「不相(ソワズ)の森」と呼ばれていました。その後、この呼び方は不吉なので「相森」と変えたという経緯のある土地なのです。

「相森神社」の由緒書によると「諏訪大明神社へ不相明神<ソワズノミョウジン>を合祀した。」とあります。
「不相の森」と「不相明神」。
この2つは、ある1つの伝説に基づきつけられた名前なのです。

その伝説というのは

「昔、須坂新町の飴屋の若者が京のある公家の邸に奉公にのぼり、そこの姫と恋に落ちて楽しい日を送っていました。そのことを知った主人が二人の関係を許さず、若者は故郷に帰されてしまうのです。純真な姫は一途な思いを胸に須坂まで追って来たのですが、若者の家ではあまりの身分の違いにビックリしてしまい二人を逢わせなかったのです。
姫は落胆のあまり相森ののお宮で自害してしまいました。」

というものです。
それからこの地は「不相(ソワズ)の森」と呼ばれ「不相明神」が祀られて、嫁入りの際にはこのお宮の前は通らないようにしたそうです。

現在も「相森神社」には姫が自害したといわれる「延文2年(1357)に備州長船兼光が造った県下有数の名刀」が残されています。

この短刀が伝説に使われたものなのか、伝説自体は本当なのか、今となってはわかりませんが、
伝説に基づき「不相明神」が祀られ、
その地の呼び方が決まり、
諏訪大明神を祀っていながらも神社の名が伝説になぞらえた名前になっている
このことに伝説が本説になりそうなロマンを感じます。

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