火除け厄除けへの願い

蔵作りの町家が立ち並ぶ須坂市では、昔より「火災」をの発生を大変に恐れていました。

特に明治3年の「須坂騒動」では多くの焼き討ちが行われ、大部分の蔵がその焼き討ちによって消失してしまいました。
そんなこともあり須坂では耐火に優れた「大壁作り」と呼ばれる建築方法を多く取り入れた蔵が多いのです。



その他にも「火除けの厄除け」は
鬼瓦の「雲水の彫り」
屋根の軒先の波模様、
蔵の壁の水切り部分の波模様
など蔵の様々な所で見ることができます。

もちろんこのような装飾で火災を防ぐことはできないのですが、当時は一度火災が起きれば飛び火を防ぐために横の家も壊されてしまうので、どうにか「火」を寄せ付けないよう願う人々の気持ちがこのようなところにも表れているのです。

このような「縁起担ぎ」や「厄除け」のための建物への装飾によって須坂の建築技術、芸術が成長したという一面もあるのですよ。
須坂やその周辺地域で腕の良い瓦士や大工、左官屋が生まれたのにも須坂の蔵の歴史が関係しているのです。




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