須坂市を横断する国道406号から、小河原町を抜けて小布施町へ入る道を「新田春木線<シンデンハルキセン>」といいます。
この新田春木線沿いで、南小河原と北小河原の間あたりに「左願寺<サガンジ>廃寺跡」があります。
この場所が世間の注目を集めたのは、ある瓦の出土にありました。
ことの発端は、明治初年に今場所で農作業をしていた農夫が、小さなお椀に入った小仏を見つけたことに始まりました。
この小仏は坐像3.7cm、重さ155gという小さなもので、「宝冠阿弥陀如来坐像<ホウカンアミダニョライザゾウ>」といいます。全国で発見されている同じような仏像との比較で、平安時代後期のものであるといわれています。
そして、昭和2年に、郷土史に興味のあった豊洲小学校の先生が、この場所から「布瓦<ヌノカワラ>」を発見しました。そのときは「古い瓦が出てきたな」くらいのことだったそうです。
その後昭和43年になり、新田春木線の整備に伴って工事が行われることになりました。
その際に「この場所には何かある」とにらんだ、やはり豊洲小学校の先生が立会いをして、ついに須坂の歴史的発見となる「複弁八葉<フクベンハチヨウ>」の瓦を発見することになったのです。
お寺の歴史を調べる際に資料となるのが瓦なのだそうです。
その中で、ここで発掘された「複弁八葉」の瓦とは、善光寺に飾られている瓦と同じもので、善光寺が建立されたのが700年代といわれていますから、正に同時期にこの場所にもお寺があったという証拠の瓦となったのでした。
その後「布目瓦」からも木根といわれる跡が見つかり、やはり古いものであることもわかったのでした。
この小河原という地区は、町の規模の割りにお寺が沢山ある地域です。それは信仰が深いということなのですが、長野県の中でも最古に近いお寺があったと知ると、それも納得できますよね。
このあたりのお寺は戦国時代の川中島の合戦近辺に全てが焼かれてしまったのだそうです。
その後左願寺は復興されなかったのです。
一説によると、この場所にあった左願寺は、それはそれは大きなお寺だったと伝わっています。
焼かれてしまったことも勿論ですが、その後復興できなかったということも悔やまれてなりませんね。