坂田町

坂田町の蚕神

長野県須坂市は「信州須坂蔵の町」として、長野県内外からの観光客の皆様に蔵の並ぶ町並みを見てもらっています。

須坂に並ぶ蔵の多くは、繭を保存していた蔵です。

須坂市は江戸末から明治、大正、昭和初期にかけて製糸業の盛んな町でした。そのために繭を保存しておく蔵が必要でした。

特に明治4年の「田畑勝手作りの許可」により、畑が桑園となり、明治10年代にはどの村でも「養蚕を専らとす」というように、養蚕が須坂の農家の暮らしの中で大きな位置を占めるようになったのです。


しかし、肝心の蚕は弱い虫です。

その時の気候の加減や桑の出来具合、病気などで全滅。
なんてこともありました。
そうならないために、養蚕農家は一家をあげて、村をあげて蚕の飼育に取り組んだのです。

明治27年(1895)に平尾初太郎によって書かれた
「養蚕早学 春の部」では

「蚕を飼育するものは慈母が赤子を育てるがごときの思いで育てなさい。不親切に育てると財産をつぶすほどの結果を招く」
「少しも蚕室を離れないこと。しかたがなく離れるときも心は蚕室を離れてはならない」

と養蚕農家の心得を説かれているほどです。


そして養蚕農家は桑の豊作と豊蚕を願い、神に祈るようになりました。


須坂市坂田町に建立されている「蚕神」も坂田村下町の養蚕農家の人々によって明治31年(1898)に建てられました。
碑の中央には「豊受姫命<トヨウケヒメノミコト>が桑の小枝を担いだ絵が刻まれています。

須坂市は製糸業と共に養蚕業も盛んだったために、このような「蚕神」の碑は市内に多く点在しています。
その中でも、このような蚕神の絵像碑は珍しいものとなっています。






坂田町の蚕神

住所:坂田町
名前:坂田町の蚕神
取材日:2007/06/20
更新日:2021/04/12

参考文献

須坂の蚕神<須坂市立博物館>
須坂市石造文化財<須坂市教育委員会>

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