長野県須坂市の臥竜山の麓で臥竜公園内の須坂動物園入り口の横に「昌福寺<ショウフクジ>」があります。
昌福寺境内裏手に
「渡辺朴淵<ワタナベボクエン>筆塚」
があります。
渡辺朴淵の出生地は木島平村と伝えられています。
昌福寺第7代住職となった朴淵は、寺小屋にて農家の子供達に読み方、筆を教えました。
寺院は本来僧侶の修行の場であると同時に、将来僧侶となる子供が修行をする場所でもありました。
平安時代になると、僧侶志望でない一般の子供達も一緒に学ぶようになったそうです。
子供達は寺に上がり習事をするので、その子供達を「寺子」と呼びました。
後に、子供達の教育は寺院だけでなく、神官や医者、その土地の名主達が自宅で行うようにもなったので、以前の名残でそこに集まる子供達を「寺子」、その場所を「寺子屋」と呼ぶようになりました。
須坂には明治初めまでに112箇所もの寺子屋があったそうです。
渡辺朴淵の寺子屋へ通う門弟は17名と記録されていて、
須坂の寺子屋はこうした10人前後の小規模なものがほとんどだったようです。
明治5年に学制が公布されると、小山・坂田・灰野地区の子供は円光寺の「止善学校<シゼンガッコウ>」にて教育を受けることなったために、寺子屋は廃止となりました。
明治9年から11年までは昌福寺が止善学校として使われたようです。
この筆塚は明治14年3月に渡辺朴淵への感謝の気持ちをこめて筆子らによって建立されたのです。