現在ほど水道設備が整っていない時代には、湧き水は貴重な水源でした。
松川から鮎川に至る広い扇状地である長野県須坂市には井戸の跡や清水が湧き出していた跡地が多く残っています。
須坂市臥竜公園のお膝元「南原町」、臥竜山東側に残る「柳清水弁天石祠<ヤナギシミズベンテンセキジ>」のその1つです。
この柳清水と縁の深い「臥竜山 興国寺」に残された文書によると、この清水は貞享の頃(1684)から当時の北原組、小山下組住民の生活用水として使われてきたそうです。
また江戸時代にの須坂藩家老が書いた須坂見聞録
「三峯紀聞<サンポウキブン>」
にも「柳清水」が登場してきます。
そこには
「諸国巡回中の行脚僧<アンギャソウ>が死を間近にして
「ほかに望みはないがもう一度あの柳清水を飲んでみたい」
と言ったというほどうまい水。
よその水よりも軽く、それに例えようのないほど清潔な水でこの付近に比類の無い名水である」
と書かれているのです。
この柳清水は最近まで生活用水として使っていたらしく、近くの小山小学校のプールや須坂高校への分水も行なわれていたのだそうです。
須坂の名水を一度飲んでみたい!
現在湧き出ていないのがとても残念です。
ここに残る石祠は、以前ここに須坂が誇れる名水があったという証なのです。