「上臈<ジョウロウ>」とは身分の高い夫人のこと。
中世にこのあたりを治めていた須田氏の館と近いこのあたりには、須田氏の重臣の屋敷がありました。
それらの屋敷は上臈屋敷と呼ばれたのです。
上臈屋敷の並ぶこの道は、「上臈小路」とも「呼ばれ、この道は須田氏領内の中で市が開かれるなど活気のある中心道路でした。
このとき開かれた市が、江戸時代に須坂藩内で行われた「九斎市<キュウサイイチ>」のはじまりなのです。
九斎市は、9の付く日に行われた市のこと。
この上臈屋敷の山際には「おでべ池」という、綺麗な水の湧く池がありました。
「おでべ」とは「お手前」がなまった言葉と考えられています。
大正時代に2坪ほどの広さがあった「おでべ池」の水は、上臈たちのお茶水や化粧水として使われたようです。