寿山翁碑

江戸時代に須坂地域を治めていた須坂藩堀家に代々仕えてきた「駒澤家」は9代清泉の時に、須坂藩家老に抜擢されたのです。


先日受けた講義の一部から


駒澤家の住まいは、江戸時代末期の「須坂藩家中の図」によると
常盤町の現在「遠藤酒造店」の道を挟んで西側に描かれています。
家屋は、現本町通り沿いにあり、家屋裏には現劇場通り(昔は道海渕<ドウカイブチ>と呼んでいた)まで畑と庭が続いていたのです。



駒澤清泉は、しばしば藩公に金穀を献じ、また神社仏閣に土地財宝を寄進、且つ貧民の救済に力を入れたとされています。
江戸藩邸の普請奉行<フシンブギョウ>を行なった時には無駄な出費を抑え工事を完成させました。

清泉は漢籍、書画、詩吟、茶道などの教養も持っており
特に「書」と「琴」が巧みだったのです。

文化8年(1811)江戸後期の書家「亀田鵬斎<カメダボウサイ>」はその琴の音色に感動し、詩をしたためたとされています。



▼平成18年度「すざか町並み楽習塾」内、涌井二夫先生の講義。
涌井先生は須坂市立博物館の館長さん。
僕自身も個人的に色々良いお話を聞かせていただいております。
講義内容がとても面白く、楽しんで勉強できました。




清泉以降、駒澤家は
綿内、南小河原、御馬、大谷、横町、小林家
の6家に分流します。

清泉の孫で南小河原駒澤家の「駒澤国右衛門(号:寿山)」は子供のころより清泉に就いて学びました。

その後「河村隼人」と称し須坂藩学校立成館の学監(職員)になったのですが、廃藩後に駒澤姓に戻し小河原にて塾を開き多くの子弟を育てたのです。
学徳共に高い国右衛門の元には500名もの生徒が集まったのだそうですよ。

昭和24年11月に門弟中はその学徳を称え南小河原南端に
「寿山翁碑」
を建設しました。



江戸時代に須坂藩を支えた藩士にはなかなか注目がいかない所。
しかし須坂藩士には今回紹介した「駒澤清泉」の他にも優れた藩士が沢山いるのです。
そんな角度から須坂の郷土史を紐解くことも面白いですね。




寿山翁碑


名前:寿山翁碑
取材日:2006/10/03
更新日:2020/10/07

参考文献

須坂市人物誌<須坂市人物誌編集委員会>
激動の幕末を拓いた藩士たち<須坂市立博物館>
平成18年すざか町並み楽習塾資料<生涯学習推進センター>
その他参考資料

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