須坂の水散歩

長野県須坂市には石碑が多くあります。
それらを見ていくと、
「水神碑<スイジンヒ>」などの水に関係するものが多く残されていることに気がつきます。


最近読んだ本から

須坂市には川が多く、川に関わる事柄が色々と伝えられている。
特に水害の多発により、住民は田畑が荒らされ大変な苦難な生活を過ごした。
また、須坂市を流れる川の水源には硫黄が採掘された鉱山が多く、農耕の生産性が低く悩まされもした。

しかし、一方で川を利用し、水車が発達して穀物の精米・製粉や製糸業の原動力ともなった。


須坂の歴史を語る上で、須坂を流れる川と人との関係は欠かせない。須坂の先人達が残した水神碑や石碑のいわれを、須坂の歴史の一部として後世に伝えることは必要なことだ。

と編者の田子氏は語っている。


今回の本
「須坂の水散歩」
田子昭治編集・発行
青木廣安監修



須坂市の土地は、「松川」「百々川」によって作られた複合扇状地。

その他にも「鮎川」「八木沢川」などの川が流れ、
それらの川は長野市との間に流れる「千曲川」へと流れ込んでいるのです。

須坂市は名前に「坂」がつくように、坂の多い土地に成り立つ町で、
須坂を流れる川は急流で、水害が多発しました。
また、その急流を利用して、裏川用水を引き、水車を設け、須坂の産業が発展に多大なる力を発揮した経緯もあります。
「水車のかかる川が無ければ、須坂の産業は発展しなかった」
と言っても過言ではありません。

編者の田子氏が本で述べているように、
須坂には川に関わることが多く伝えられ、須坂を流れる川は須坂の歴史と深く関わってきました。


郷土須坂の歴史を知ることは、
川との戦いの歴史を知ることであり、
川との共存方法を知ることでもあるのだと感じたのでした。





須坂の水散歩


名前:須坂の水散歩
取材日:2007/01/23
更新日:2020/12/18

参考文献

須坂の水散歩<田子昭治編集 田子昭治発行>

掲載している探検隊スペシャル