九反田公会堂

方義書「道祖神」

長野県須坂市九反田町公会堂の片隅に
「道祖神」
と彫られた石碑があります。

この碑は明治時代に須坂藩で活躍した
「北村方義<キタムラカタヨシ>」
の書なのです。

北村方義といえば以前に「米子神社」の大幟を書いたことで以前紹介しました。




「北村方義」は現在の長野市若穂の出身。
学問を須坂藩校「立成館」で学んだとされています。
その後、江戸にて儒学を学んだ方義は安政5年に帰国、
文久元年の堀直虎による藩政改革で立成館の教授に任命されました。

時代が明治に変わると、方義は須坂藩の代表として
明治政府の立法機関である「公議所」の公議人に参加します。
明治3年に大監察兼文教局教授司となったのですが、
明治5年に退職。
退職後も中学校教授だけは須坂庁より任命されました。

その後も小学校教育に関わり、明治14年に官から完全に離れてからも、長野市妻科のにて子弟への教育にその身を投じました。
その子弟の数はのべ2千人にもなるそうです。

方義は漢詩、書を得意として、中でも大字を好んだのだそうです。
確かに米子神社の大幟、今回の道祖神の書も大きい文字です。
奥田神社招魂社前記念碑の漢詩も北村方義によって書かれたものなのですよ。(彫った方は別です)


「北村方義」は江戸時代から明治時代の須坂の学校教育を語る上で欠かせない人物です。現役を離れてからも生涯子弟教育に身を投じる姿は根っからの教育者。

今回紹介した「九反田道祖神の書」のように、
市内に遺作がいくつも残る事からも北村方義の、その学と徳の高さがわかるのです。





方義書「道祖神」

住所:九反田公会堂
名前:方義書「道祖神」
取材日:2006/10/26
更新日:2020/11/10

参考文献

須坂市人物誌<須坂市人物誌編集委員会>
須坂市石造文化財<須坂市教育委員会>
その他参考資料

掲載している探検隊スペシャル