須坂市の祇園祭

須坂の夏の風物詩といえば「須坂祇園祭」でしょう。

須坂市では毎年7月21日~7月25日まで祇園祭<ギオンサイ>が行われます。



「祇園祭」とはそもそも平安時代に京都で始まった「疫病送り」の祭りです。

昔、京都などの人口が多く集まる都市では、梅雨のこの時期に、伝染病が流行し多くの死者が出たそうです。
その原因を「疫神<エキカミ>の蔓延<マンエン>」と考えた当時の民衆は、梅雨の時期に疫神を一ヶ所に集めて地域外に送り出す方法をとったのです。

その際疫神を集める方策として
1.神座を美しく飾り目立たせる。
2.神座を賑やかに囃したてて、生活圏をくまなく廻る
3.集めた疫神の神座は直に焼く、流す、捨てる
などを行ったそうです。
綺麗に賑やかにすることで疫神を集め、一気に倒すという方法です。

そしてこのような京都の風習が江戸時代に須坂市に伝わり、須坂の祇園祭では「墨坂神社 芝宮」において、天王さまをおまつりした神輿と共に、笠鉾<カサボコ>と屋台<ヤタイ>が繰り出すようになったです。
華やかに飾られた笠鉾が町中を廻るのは「疫神」を集める為と、御神体を警護するという2つの意味合いがあるのです。

須坂の祇園祭の歴史は、
古くは須坂藩主堀家の御霊祭として行われていたようですが、しだいに経済力をつけてきた町の衆が「天王おろし」「天王あげ」などで、綺麗豪華な笠鉾<カサボコ>や屋台を競って作り今の形となりました。

元々、天王さまは芝宮に祀られていたのではなく、須坂市本郷地区に祀られていたものを強引に芝宮にもってきた経緯もあります。


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