長野県須坂市では、毎年7月21日より25日まで須坂祇園祭が執り行われます。
祇園祭は21日の「天王おろし(神輿)」と「笠鉾行列」によって幕が開けるのです。
この時期に須坂祇園祭が行なわれることは知られていても、その意味はなかなか知られていないことが現状です。
そこで、今回はより祇園祭を楽しめるように「須坂市祇園祭笠鉾行列」に参加する各町の笠鉾について調べてみました。
依代<ヨリシロ>の千成瓢箪<センナリヒョウタン>と真っ赤な上帽額<カミモコウ>に白く大きな弥栄神社の社章が目立つ笠鉾は太子町の笠鉾です。
上帽額に染められた紋は一般的に「左三つ巴」と呼ばれていますが、正式には「三頭左巴」というそうです。
「三つの頭が左回りに回っている」
からそういわれるのでしょうね。
太子町の笠鉾は文化(1804頃)・文政(1818頃)頃からあったのだそうで、現在の笠鉾は明治3年に作成されました。
「笠鉾奉加帳」によると文化・文政頃に48軒より42両を集め、藩医板倉雄碩<イタクラユウセキ>(1806~1869)が京都で購入してきたと残されているそうです。
その頃から依代の千成瓢箪はあったのでしょうか?
この笠鉾の千成瓢箪の意味を知りたいと思ったのでした。