須坂市の塩野町公会堂の横に、この筆塚は建てられています。
「阿毘跋致<アビバッチ>」
と刻まれているのですが、これはお経の一節から引用した言葉です。
「不退転」「退かないこと」という意味で、「阿惟越致<アユイオッチ>」ともいうのだそうです。
坂田良右衛門は、塩野地区で代々地主の家柄でした。
良右衛門は、家事に勤める傍ら近所の子供を集めて読み書き算盤を教えていたそうです。数年後には、常時数十人もの筆子(生徒)が家に通っていたといわれています。
良右衛門が明治5年に52歳で亡くなると、その筆子(生徒)が集まり、この碑を建てました。
碑面の文字は良右衛門の師匠「中野汀庵<ナカノチョウアン>」によって書かれたものです。
筆塚は寺小屋などの師の死を偲び、筆子たちが建立するもので、須坂市内には多くの筆塚が建てられています。
「阿毘跋致」
退かないという意味のこの言葉は、
坂田良右衛門が常々口にしていた言葉なのか、
それとも筆子衆からは坂田良右衛門の生き方がそのように見えたのか、
今となってはわかりませんが、坂田良右衛門とは何か関係のある言葉であることは確実でしょう。
そして、この言葉からは筆子衆が師を偲んだ気持ちを感じることができるのです。