長野県須坂市臥竜にある臥竜山の遊歩道脇に、二つの歌が並んで刻まれた歌碑があります。
掃きよせて 炊けば 素直にけむるなり 松の落葉も 萩の枯れ葉も
広田篤太郎
冬来ると 清らにやせて 明けくれる 何もなきわが 思惟の山川
荒井信太郎
広田篤太郎<ヒロタトクタロウ>は明治38年に須坂市に生まれました。
松代商業学校の教師をし、須坂商業高校に転任、校長をし、退職しました。
大正12年に太田水穂に師事して歌会「潮音」に入会。
須坂市を中心に「川端歌会」を結成して地元須坂で多くの歌人育成に勤めたのです。
荒井信太郎<アライシンタロウ>は明治37年須坂市生まれ。
大正11年に「潮音」に入会、太田水穂に師事します。
「川端歌会」を結成後、広田と共に地元須坂で多くの歌人育成に勤めました。
中国の春秋時代<シュンジュウジダイ>に管仲<カンチュウ>と鮑叔牙<ホウシュクガ>という人物二人が、変わらぬ友情をずっと持ち続けた事から、
非常に仲の良い二人を「管鮑<カンポウ>の交わり」というそうです。
この二人は、同じ「太田水穂」の門下として長年切磋琢磨し、お互い励ましあうその姿から「管仲と鮑叔牙の如し」といわれました。
二人の地元歌会への功績を讃え、二人の歌を仲良く並べて置くことにしたのです。
須坂版「管鮑の交わり」
二人の気落ちは、歌にも残されているのです。
君知るやかの 管鮑の語りぐさ 幾年月をたぐへても来し