寿泉院境内にある「箕由句碑」の建立者の中に「原二芳<ハラフタヨシ>」の名が入っています。
原二芳<ハラフタヨシ>の本名は原政太郎といい塩川町の出身。
今も塩川町には原二芳の句碑が残されています。
その碑には
「静さの 余りに曇る さくらかな 二芳」
と刻まれています。
建立は明治43年4月
建立者は桃玄舎二世羽生田玄司<トウゲンシャニセイハニュウダゲンジ>
原二芳こと原政太郎は、大変熱心な俳人だったそうです。
上水内郡朝陽村(現在長野市)の南屋島の俳句の師匠「龍夢館」を襲名し門弟も大勢あったのです。
この碑の建立者の一人に、
須坂俳諧の名門桃玄舎の二世、羽生田玄司の名が入っていることからもその存在の偉大さがわかるのです。