沼目町

沼目薬師堂

沼目部落の東南にある「薬師堂」は、もともとの沼目の北(通称薬師田)にあった「福昌寺」の後身なのだそうです。
そのことは、薬師堂の軒にぶら下がる半鐘に書かれた「喚鐘銘文<カンショウメイブン>」によってわかります。

弘化4年(1847)の善光寺地震と洪水によって流されたために、幕末現在地に再建されたのだそうです。
再建時の棟梁は上高井が生んだ名工「亀原和太四郎」なのですよ。



堂内の仏間に続く格天井<ゴウテンジョウ>には縦6尺(182cm)、横9尺(273cm)もの「巌上<ガンジョウ>の大鷲図<オオワシズ>」が描かれています。
この絵の注目するところは、須坂市のお隣の小布施町北斎館所蔵、葛飾北斎作「巌上の大鷲図」に酷似している点です。
あまりに似ているので同一の粉本を見たと考えられているのです。

また、驚くことにこの絵の隅にはあの「高井鴻山<タカイコウザン>」の朱の落款<ラッカン>があるのです!
薬師堂の再建を記念して大間天井絵を高井鴻山に以来したものと思われます。



この絵は彩色画らしいのですが戦時中に学生の宿舎に使用された際、もったいないことに焚き火の煙をあびてしまい水墨画のようになっています。

ともかく、このようなことから幕末当時の付近住民の沼目薬師堂再建への熱い思いが伝わってきます。棟梁は「亀原和太四郎」。天井絵は「葛飾北斎の画」と同じ粉本の「高井鴻山作」。
豪華な顔ぶれですのもんね。

このような素晴らしい堂が市内にあったとは・・・
まだまだ須坂には先人の残した素晴らしい財産があり、それらのほとんどは市民にも市外県外の方々にも知られていないのです。
これからもこのページ内でどんどん情報を発信していきますよ!

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