松尾芭蕉は江戸時代に「幽玄<ユウゲン>」「閑寂<カンジャク>「余情<ヨジョウ>」を重んじる薫風俳諧<クンプウハイカイ>を確立した人物です。
俳諧を学ぶ者の中には松尾芭蕉を敬う者が多く、彼らによって全国各地に「翁塚」と呼ばれる「松尾芭蕉の句碑」が建立されました。
今回紹介する碑は、長野県須坂市に8つある「翁塚<オキナツカ>」の一つです。
芭蕉の句碑は長野県内外に多く建立されていますが、その意図は、
1、記念碑
・芭蕉の五十、百、百五十、二百年忌等を記念して
・芭蕉が来た記念として
・明治時代以降の天皇即位記念
2、それぞれの地域や風光や土地柄に似合った碑
3、諏訪社の分社には、御射山<ミサヤマ>祭りによんだ句を捧げた碑
4、社中、連中、個人が愛吟した碑
が挙げられます。
また、それぞれ碑に刻まれた句の内容から、塚名がつけられているのです。
今回紹介する「月見塚<ツキミツカ>」は、臥竜山の頂上に建立されています。
碑面には
「雲折り折り人を休める月見か那 花下十一世謹書」
と彫られ、裏には「明治二十七歳花見月梅の庵芳谷」と刻まれています。
この碑の建立は明治27年(1894)です。
松尾芭蕉が亡くなったのが元禄7年(1694)ですから、没後200年の追悼供養に建立されたものと思われます。
建立者の芳谷<ホウコク>は、須坂市坂田に住んでいた須坂俳諧師匠で、本名を宮崎芳助といいました。
この句碑に書かれた書は「花本聴秋」によって書かれたものである。
この月見塚のうしろに、芳谷の句碑も建立されています。