長野県須坂市太子町は、その名の通り町内に「太子堂」があるのでその名がついています。
3月の「太子祭」の時に堂内にて綺麗な「聖徳太子絵図」を見ることができました。
この絵図は須坂市中島町出身の「牧方丘」の作で聖徳太子の生涯を86場面の絵にしたものなのです。
「牧方丘<マキホウキョウ>」は文政元年に須坂市中島に生まれました。
若い頃は東京の海沼文峯に絵を学びますが、その後、越後を遍歴し作品を残しています。
明治15年に長野市津野正覚寺に伝わる聖徳太子絵伝を、自分なりの構図や場面で様々な工夫を加え書き上げたと伝えられています。
絵図の内容は
母は金色の僧の夢を見て太子を懐妊した。
元旦に皇女が厩<ウマヤ>の前で出産したので「厩戸皇子<ウマヤドオウジ>」と名づけられた。
誕生直後から言葉を発し2歳にして「南無仏」と唱えた。
10歳で仏教や儒教を学び、日本で墨を初めて使った。
11歳で一度に10人の訴えを正確に聞き分けた。
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こんな感じで86場面続きます。
僕にとっては聖徳太子の偉業よりもこの絵図の色と色使いが素晴らしくに感動します。青がホント綺麗。
毎年3月21日の太子祭には太子堂内において実物を見ることができますので、是非とも見てみて下さい。