奥田神社境内

時の鐘

2006年5月28日に「信州須坂町並みフェスタ2006」が開催されました。銀座通りを歩行者天国にし、そこを中心とした旧須坂町にて多彩なイベントが行われたのです。

さて、須坂人であり普段から須坂の情報を発信している僕が目指したことは
「普段見ることができないものを見て、次回以降に向けて情報をお伝えする」
ことです。

そこで僕が目につけたイベントが「鐘楼の鐘を撞こう」です。

「鐘楼の鐘」は僕が昔通った須坂小学校の傍、奥田神社の境内にあり、昔は時を知せるためについたものなのです。


普段、須坂市指定有形文化財に指定されている鐘楼には入ることができません。このイベントで見ることしかできないのです。

鐘は新しいとはいえ、この鐘楼は江戸時代の建物。
普段は鍵がかけられ閉ざされている扉を開けると中は何も無い薄暗い空間と上にあがる階段があります。

木造なため多少ゆがみを感じる階段を登っていき、いざ鐘と対面。
そこには重厚で趣きのある鐘が吊るされていました。

鐘には「高岡市 鋳物師 老子次右エ門」「亀甲卍の紋」「須坂藩 時の鐘」と描かれています。
それに以下の説明文がつけられています。

「この鐘は、須坂藩第8代堀直郷公が、天命2年に現在の常盤町尻に設けたが、大正初年、現在地に移された。また、太平洋戦争中金属の供出により160年余り続いた時の鐘は絶えてしまった。
金がないまま半世紀が過ぎたが、このたび、社有地に建つ縁と西暦2千年という節目を記念に、旧鐘を類推してこの鐘を鋳造し、須坂市に寄贈することとした。」

この鐘は「奥田神社」によって寄贈されたものなのですね。

確かに重厚な鐘でありますが、現在は撞かれることはありませんので、どちらかといえば装飾品に近い綺麗な鐘です。

「昔はこんな感じで鐘を撞いていたのだろうなぁ」と昔の光景を想像し、鐘の傍でとても良い時間を過ごすことができました。

市の職員の方に聞いた所、昔の鐘がどの様なものだったか示す資料がまだのこされているのだとか・・・。
何かの機会に是非そちらも拝見したいものです。


鐘楼の上から見える光景と鐘の全貌は実物を見てみてください。
お薦めです。

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