長野県須坂市墨坂にある「墨坂神社」境内には代々神主を務めてきた「山岸家」の先祖を祀った神社があります。
その名は「祖霊社<ソレイシャ>」
江戸後期の神仏分離の考えが大きくなってきた中、天保7年(1836)に創建されました。
また、墨坂神社の脇に天保時代から明治時代にかけて神主を務めた
「山岸清文<ヤマギシキヨフミ>」
の歌碑が建立されています。
山岸清文は立成館に学び、20歳の時より京都、江戸にて国学や歌道を学んだのだそうです。
須坂に帰郷後は祖父の重輔の開いた手習所で宮司の傍ら、師匠を手伝いました。
また自社の社号の混乱を正すために、東京の本庁に願い出て「墨坂神社」の社号を認めさせ、明治27年には祝詞殿、拝殿、直会所などを再建し神社の隆盛を図った人物です。
清文は文芸面においては歌会を多く開き、地方人士との交流も盛んで、多くの人々に影響を与えたとされています。
明治33年に門弟がこの歌碑を建立したのです。
睡鶴<ネムリツル>
末川農上耳 <まつ(松)の上に>
由多か尓寝ふる <ゆたかに寝ぶる>
老つる盤 <老い鶴は>
遍尓遣ん <へ(経)にけん>
ちよ能夢や <千代の夢や>
三類ら舞 <みるらむ>