江戸時代に須坂藩の政治の中枢であった藩主館は現在の常盤町「奥田神社」の位置あったとされています。
そして今に残る旧須坂藩館の痕跡はとても少ないのです。
明治4年(1871)「大中小藩残らず廃されて県とす・・・」で始まる廃藩置県が明治政府によって出されると、江戸須坂藩邸に常勤していた藩士が急遽須坂に帰って来ることになりました。
しかし、須坂に江戸須坂藩邸に勤めていた藩士の家がありません。
そのため、急いで作られた家が常盤町に残る長屋なのです。
瓦ぶきの二階建て。
棟端の鬼瓦にはしっかりと須坂藩の紋「亀甲卍」が飾られています。
この長屋、二階の高さが異様に低いことに気がつきましたか?
やっと窓が作れるほどの高さしかありません。
(中はそうではありません)
これは設計ミスでは無く、こちらの方角に須坂藩邸、お殿様の住まいがあるので、そちらを見下さないようにという配慮なのです。
急いで作られたせいか、雨漏りもしやすく、簡素に作られているのです。
江戸時代のいわゆる支配層と呼ばれる武士階級の生活研究については色々取り上げられます。
上級武士の生活は華やかな部分があるので、その研究は注目も浴びることが多いのです。
しかしその下、足軽や下級武士の生活についての研究は、あまり華やかでないことからも、その研究は遅れがちになっている事が現状のようです。
その中で、この「足軽長屋」は明治時代になるかならぬかの幕末に作られてとはいえ、今となっては当時の下級武士の生活を知る上で、貴重な資料で大切な文化財なのです。
痛みがひどいですが、補修をしていただき是非とも後世に残していきたいものですね。