米持町

米持町の道祖神

その昔、病は鬼が起こすものと信じられ、疫病などの流行り病は街道から集落(村)に鬼が入ってくることで、その地区に流行するものと考えられていた。
そこで、村の入り口には「道祖神」が建立されるようになった。

米持町の東の入り口に今も道祖神が残されています。

碑の裏には万延元年(1860)建立と刻まれています。
この碑の題字は、須坂藩の祐筆、また、佐久間象山より医学を学び藩医として活躍した「中島淡水」によって書かれました。

また、この道祖神の横には庚申塔が置かれています。
これは、1800年代半ばころになると庚申信仰と道祖神信仰が合体し、1月15日の旧正月の行事のお日待ちが行われるようになったためなのだそうです。

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