長野県須坂市は「辻の町」といわれています。
「辻<ツジ>」とは道路が十字に交わる所の事なのですが、
須坂は「街道が交わる町」ということから、そう呼ばれたのです。
江戸時代、「下町」と呼ばれた、須坂市春木町は「須坂の北の玄関口」といわれ、小布施方面から須坂に入る「旧谷街道」が通っていました。
今も当時を感じさせる道標が残されています。
その道標には須坂方面から見て
「左 大島 右 をぶせ」
と刻まれています。
今刻むとしたら
「左 小河原 右 小布施」
でしょうか。
道標の上部は欠けてしまい、側面に刻まれた建立年がわかりませんでした。しかし、最近見つかった資料などから
「文政十年(1827)丁亥<ヒノトイ>之春三月」
と刻まれてることがわかったのです。
2007年の今年、「干支」は丁亥。
この道標はちょうど、今年から180年前に建立されたものなのです。
須坂は街道が重なり合う「辻の町」だからこそ、人々の往来が激しくなり、今日まで発展することできました。
この道標は180年間に渡って、人々を案内してきただけではなく、「辻の町」として発展してきた須坂を、180年間見続けてきた証人でもあるのです。