福島町

福島宿

長野県須坂市と群馬県吾妻郡を結ぶ「大笹街道」は
江戸時代に物資の運搬や参勤交代の大名行列、善光寺詣の旅客たちで賑わったのです。

そしてその大笹街道の起点が
須坂市福島宿
なのです。


福島地区は須坂市と長野市の間を流れる千曲川に架かる
「屋島橋と村山橋の間」の川沿いのあります。

大笹街道は慶安3年(1650)に江戸幕府より街道として公許されました。
江戸時代中期には千曲川が大きく氾濫をし、宿が移動せざるえなかったことも確認されています。

集落の中心を南北に走る道路沿いには、現在も当時の宿の面影を残す町並みを見ることができます。


宿駅制度が明治初期に廃止されましたが、この福島地域は更なる繁栄をみせます。

安政6年(1859)の各地にある港が開港し、外国貿易が許可され、慶応元年(1865)に蚕種<サンシュ>の海外輸出が始まりました。そのため、蚕種業に適した土地であった福島地区では、蚕種業の増加し、その出荷量も際立って多くなりました。明治4年には蚕種同業組合が設立するまでに至るほどでした。

この頃、この地区出身の平野要左衛門という人物が全国蚕種競進会にて1等に選ばれているのですよ。


明治時代の福島地域の蚕種業による繁栄は、この地区の鎮守社である天神社の改築のにも見ることができます。
明治9年から13年まで行なわれた社殿の工事によって彫刻を豊富に飾った社殿が地元の有志によって作られました。

現在、福島地区で見られる大規模な民家の大半が明治時代に作られたものなのです。そんなことからも明治時代の蚕種業においての福島地区の繁栄を見ることができるのです。


しかし、大笹街道がその後の運搬手段の変化により使用されなくなった事と同じように、
蚕種業も製糸業の衰退、養蚕業の衰退とともに衰退の一途を歩んでいったのです。


江戸時代には大笹街道の出発点として賑わい、明治時代には蚕種業により繁栄したこの「福島地区」は須坂発展の鍵であったことは確実なのです。





福島宿

住所:福島町
名前:福島宿
取材日:2006/09/14
更新日:2020/10/06

参考文献

信州須坂の町並み 福島宿仁礼宿及び井上を中心として
<財団法人観光資源保護財団>
須坂の製糸業<須坂市教育委員会>

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