須坂市八重森の西方に「一秀院桃仙翁寿碑」と表面に刻まれた佐々木伝之助の寿碑があります。
碑の右に「梶井宮御流華道隠師」、左には「子爵奥田直恭謹書」とあり、裏面には「遊久安起や、水は澄みゆく何如礼行く」とあります。
佐々木伝之助は、文久3年(1863)に上高井郡八重森村(現須坂市八重森町)に生まれました。
沼目斉学校を卒業後、明治28年に井上村福島の一寿斎素鶴翁の門に入り、華道、茶道、折方、立花(りっか)を学びます。専心精進の末に奥儀に達し、一秀斎鶴叟の号を授けられるまでにいたりました。
俳諧においては田之本翁に学び、号を秀山と称し、のちに宗匠となりました。
資性温雅(元々穏やかで上品な性格)で、人に親しみを与える人柄で、華道では教えを乞うものが70余名にも及んだそうです。昭和7年に高弟だった日野村塩川の一秀竹叟碧に二世を譲り、自ら隠師となり「一秀院桃山」と号しました。
昭和10年、門弟たちは寿碑を建立してその徳操を顕彰しました。