古白山社

長野県須坂市野辺町より米持町に抜ける左右に畑が広がるのどかな道に、ポツンと石碑が建っています。
それは畑の中に建っているために目立っていますよ。

この石碑は「古白山<コハクサン>」と呼ばれているのですよ。

以前に、このページで紹介した「椚原豊守神社<クネギハラトヨモリジンジャ>」の由緒をまとめた「村社無格社由緒調査書」には次のような内容が書かれています。


「白山社の歓請<カンショウ>については不明。
井上城主から境内地を寄付され、養和年間(1181~1183)まで合戦塚の地にあり産土神<ウブスナカミ>として尊敬されてきた。
養和年間の井上城主井上九郎光基木曽義仲による合戦の際に社殿等を焼失。
天文年間(1532~1554)にも戦が止まず、その兵火によって記録書、社殿が焼失してしまった。」

椚原豊守神社境内にある「白山社」は以前は合戦塚の地にあったのです。

それがまさしく、今回紹介する野辺米持間の「古白山」なのです!

合戦塚にあった白山社は、先に書いた養和年間「源平合戦」と天文年間「川中島合戦」の二度の戦で焼失してしまいました。また「川中島合戦」による旧村の焼失によって村が現在地に移動し、白山社が遷座され社号も椚原豊守神社となったのです。

以来、この地に残され祀られた石碑は「古白山<コハクサン>」と呼ばれるようになりました。

この石碑は、現在も地域住民より厚く尊敬をうけている「椚原豊守神社」の前身であり、また、以前にこの地に野辺村があった事の証拠でもあるのです。


建立  天保四癸巳年三月<テンポウ四 ミズノトミドシ 三ガツ>

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