天神社境内

琴平宮

天神社境内に「琴平宮<コトヒラグウ>」が祀られています。


江戸時代になり「大笹街道」が江戸幕府によって公許されると、その起点であった福島宿は更に大きな賑わいをみせました。


江戸時代も後期になると福島宿は千曲川通船の河港にもなりました。
千曲川通船は寛政2年(1790)に水内郡西大滝村の太左衛門という人物が西大滝(現飯山市)と福島間にて、松代藩の荷を運ぶために通船をはじめました。そして天保4年(1833)に松代まで延長されました。

その後天保12年(1841)に善光寺町の小野厚連らが、藩とは関係無く通船業務をはじめ、塩、米等を運んだとされています。

そのようなことから福島宿は千曲川通船において、大事な河港町でもありました。


川に近い宿ということで、福島宿は過去に何度か千曲川氾濫による大きな水害を受けています。そこで昔よりこの地区の川沿いには堤防がありました。

この天神社境内にある「琴平宮」の社殿礎には次のように記されています。
「内務省 千曲川改修築堤工事施工セラルニ際シ舊(旧)堤防上ニ鎮座セラレシ本神ヲ此処ニ遷座シ奉ルモノナリ 昭和13年3月」

「この琴平宮は昔の千曲川堤防の上に祀られていたものを、昭和13年3月に現在の堤防を作る改修工事中、現在地に移しました」
このような内容です。

また石灯篭<イシトウロウ>には
「金毘羅大権現 文政13年庚寅年」
と彫られていることからも、この灯籠が過去の堤防の上に置かれていたものであることがわかります。
文政13年は1830年なのですから、今から190年あまり前の灯籠ということになります。スゲー!


祭神についてですが、
琴平宮とは「金毘羅様<コンピラサマ>」を祭神にしています。
金毘羅神は海の神、航海の神です。

千曲川での航海の安全を祈り、福島宿の堤防上に「金毘羅様」を祀ったのでしょう。

昔は金毘羅宮は大物主命<オオモノヌシノミコト>を祀り、「琴平神社<コトヒラジンジャ>と称したそうです。
その後、神仏混合などの影響から金毘羅大権現<コンピラダイゴンゲン>と呼ばれるようになりました。
「金毘羅さん」は仏教の守護神で海運、漁業、農業の神「クンピーラ」を招いたことが始まりとされています。


須坂市福島は江戸時代、この北信一帯にて陸路航路共に大切な拠点であったことは確実です。
そして、この地が
「道の拠点として重要視されていた」
という証拠は今もこの地区のあちらこちらに残されているのです。





琴平宮

住所:天神社境内
名前:琴平宮
取材日:2006/09/19
更新日:2020/10/06

参考文献

信州須坂の町並み 福島宿仁礼宿及び井上を中心として
<財団法人観光資源保護財団>
日本の神様がわかる本<戸部民夫著>
その他参考資料

掲載している探検隊スペシャル