鐘堂山 広円寺

小河原町の北側に大きく勾配のある屋根が目立つお寺があります。
山号は「鐘堂山<ショウドウザン>」寺名は「広円寺<コウエンジ>」といいます。


広円寺は、文治元年(1185)に天台宗の寺として、信州上水内郡田子村(現長野市若槻)に「光源院」の名で創建されました。
建暦2年(1212)、2世祐円が住職の時代、親鸞聖人が善光寺巡拝をしました。
その時に2世祐円は、聖人の弟子になることを申し出て、宗派、寺号を改め「広円寺」としたのです。

その後、広円寺は須坂市の小河原に移りました。
永禄7年(1564)の川中島の戦いで、本堂が焼失してしまい、甲州(山梨県)へ移転をよぎなくなれました。
その後、政情不安がおさまった1585年頃、元の地小河原に戻ってきたと伝えられています。

広円寺の本尊は、宝永元年に作られたといわれる由緒のある仏像です。
また、お寺自体も西本願寺と関係のある由緒ある寺でもあるです。
屋根の瓦には揚羽蝶紋が描かれていることから、平家や中世に須坂を支配していた須田氏との関係も考えられるでしょう。


境内にはある立派な鐘楼<ショウロウ>の金は第2次大戦中に供出されましたが、昭和29年(1954)3月に再建されました。

本堂の虹梁(コウリョウ)に施された彫刻は見事。
また、左右の獅子が正面に向いていることも特徴的です。
これらの彫刻については作者がはっきりせず、わからないそうですが一見の価値はあります。


その昔、小河原地区には13もの寺院があったそうです。
それほど仏教とのつながりの深い地区にある由緒あるお寺。
屋根にお飾られた重さ3トンともいわれる大きな鬼瓦が小河原の町を見下ろしています。



鐘堂山 広円寺


名前:鐘堂山 広円寺
取材日:2008/08/20
更新日:2021/08/05

参考文献

平成20年須坂学舎資料
須坂の文化財 寺院と堂庵<田子昭治著> 
小河原郷誌 <須坂市小河原郷中発行>

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