小山町

十王堂

須坂市臥竜にある「小山小学校」のグラウンド側より伸びる旧道沿いに「十王堂」はあります。

建立は江戸初期となっていますが、詳しいことはわかっていませんが、安政3年(1856)に臥竜山興国寺の末庵として再建されたという資料は残っているそうです。(末庵とは大きな禅寺に付属している小さな僧房のこと。)



江戸時代、十王堂は幕府の政策によって建立されました。その前には高札場がつくられ幕府や藩の政令が掲示されたのです。
時には堂庭で村人を「十王」前で命令や支持を守ることを誓わせるようなことも行われました。(十王については後で述べます。)
そのような意味で、十王堂は封建時代に政治的圧制の場に使われた役所的な場所だったのです。

その後、明治時代の廃仏毀釈<ハイブツキシャク>といわれる「明治政府の神道国教化政策に基づいて起こった仏教の排斥運動」によって無住となった堂を今日まで公会堂として使用されてきたのです。


江戸時代に村人が誓いを破ることを恐れた「十王」とは・・・

仏教上、人は死んでしまうと、生前に行った罪を7人の王によって7回審理が行われるです。
審理は没して後7日ごとに
初七日(秦広王<シンコウオウ>)
十四日(初江王<ショコウオウ>)
二十一日(宋帝王<ソウテイオウ>)
二十八日(五官王<ゴカンオウ>)
三十五日(閻魔王<エンマオウ>)
四十二日(変成王<ヘイジョウオウ>)
四十九日(泰山王<タオザンオウ>)
に各王によって審理され、それでも決まらない場合には

百ヶ日忌(平等王<ビョウドウオウ>)
一周忌(都市王<トシオウ>)
三回忌(五道転輪王<ゴドウテンリンオウ>)
が追加されるそうです。
その合計が十王なのです。

現在行われている仏教の法要もこれにのっとって行われているのですが、一部簡略化され初七日の後は四十九日まで法要はしない事が通例化しているようです。

江戸時代の村人は死後に審理される王の前で命令を守ることを誓わされるわけですから、誓いを破るわけにはいかなかったのですよね。


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